
生活をです。私の心と気持ちを私なりに書こう。「この手紙が残されて、やがて孫に読んでもらえたら嬉しい」と考えたからです。私は足が不自由な障害者です。娘は兵庫県立ろう学校を出て昭和六十年に、良い青年に巡り会って結婚、子供二人に恵まれました。私は娘の家の近くに住み、その子らを育てています。娘は毎日、会社に出勤しています。
娘に子供ができたようだ。そのときから私の心配が始まりました。「もしかして、また耳が不自由であればどうしよう」。しかし、娘は病院で男の子を無事出産し私の家に帰りました。
気になるのは耳のこと。鈴を鳴らしたり、大きな音を出したりして、反応があるか試しました。それはそれは心配でなりませんでした。生後三ヵ月ごろ、「大丈夫」ということがわかり主人と胸をなでおろし、「幸せをありがとう、よかった」と感謝しました。
孫が大きくなるにつけ、言葉を教えたり、行儀や躾に気を使っています。今日も明日も孫の世話に一生懸命です。私も年をとり、その上、足が不自由なのでそれは大変。夕方になると疲れて足、腰が痛くなります。
そして、歯がはえてきたと喜び、「バアー、バアー」と私を呼んだと喜び、体の様子がおかしいと、夜でも病院へ連れて行って心配したり。朝、昼、夜、とにかく孫の事ばかりの毎日です。いずれにしろ、娘の大切な預かり物ですから気を使っています。
長男が三歳になったころ私が、「あなたたちは耳が不自由なんだからもう一人子供を。一人っ子より二人の方がいいよ」と言いました。そして、元気な女の子が生まれたのです。長男は一歳七ヵ月から保育所に預け、妹と二人で七年間、私は杖をついて送り迎えしました。保育所
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